現代人の心の病“現代型うつ”

「現代型うつ病」という言葉にふれる機会が多くなってきたように感じます。それだけ、メディアに登場するからでしょう。

先日も、NHKの情報番組『クローズアップ現代』で特集されていました。

これは学術用語ではないとのことで、定義もハッキリしないと番組で紹介されていました。

これまでのうつ病は、抑うつ気分になり、興味や関心が失われたり、考えたり、行動することが抑制され、体調が悪くなるような症状が何週間、何ヶ月も続く、ということが見られました。

また、自分を責める傾向が強く、周囲に迷惑をかけて申し訳ない、そんな迷惑をかける自分はダメな人間だ、という気持ちが言動に表れます。

発症年齢は、40~50代が多いようです。

しかし、現代型うつ病といわれるものは、発症年齢が若く、20~30代に多いとのことです。

特に、職場でひどく沈み込むことが多く、これまでのうつ病の自責的傾向が強いのに対し、他罰的で、「上司が自分を理解してくれない」「上司がいけない」と、他人のせいにする傾向が顕著のようです。

そして、職場を離れると、友だちと遊んだり、飲みに行ったりすることは普通に出来るので、周囲から「さぼり」「怠け」と思われてしまう節もあります。

明確に定義されていないため、それが本当に仕事がイヤでそうなっているのか、うつ病と言われるものなのか、ハッキリ区別しにくいのですが、このような現代型うつ病という心の病が、この10年で増加傾向にある、ということは、9割近くの精神科医が感じていることだという調査結果もあります。

現代病の一種と言えるでしょうが、幸福を求めて作り上げた社会で、今、このような事態に苛まれる現実は、私たちが求めている“幸福”を見つめなおす必要に迫られている一つのサインではないかと思われます。

人間にとって、本当の幸福とはいったい何なのでしょうか?

うつという心の病と向き合う

うつ病になると、心も体も疲れます。

精神的なエネルギーを使い果たしたような状態になりますから、気分が前向きになりません。
前向きに考えられない時に、これではいけない、と思って、何とか前向きに、前向きに、と考えるのは、無理がかかって良くありません。前を向けない自分をかえって責めてしまったり、無力感におそわれたり、絶望感に心が覆われてしまいます。これでは悪循環です。

心はすぐに変わらないように、今は、その病を抱えながら、辛いけれども、何とか生きていくことです。治療はしていくのですが、本人には目に見える変化は実感しにくいものですから、もどかしい思いになるかもしれません。しかし、良い方向に向かうように、きっちり治療を続けていくことで、間違いなく変化していきます。焦る必要はありません。焦りは不安を生みますから。

蒔いた種は必ず生えます。
かたつむりの歩みは遅くても、着実に進んでいるのです。あせってスタートに逆戻りより、遅くても着実に前進することが大事です。

心の病と向き合うとき、じっくり着実に、あせらない心がけが大切です。

過食してしまう。そんな心の病

ついつい、食べ過ぎてしまって、ということは誰にでもあることですが、これが行き過ぎると、過食症という心の病を引き起こすことがあります。

前回も、お話ししましたが、過食症とは「神経性大食症」と呼ばれ、若い女性に多い心の病です。

この症状の女性は、特に「やせなくてはならない」という思いが強く、体重が増えることを「許せない」のです。

自分で自分がコントロールできず、暴食してしまい、しかし、その代償として、食べた分を吐き出そうとします。過剰なダイエット、摂取したカロリーを無理に消費しようと激しい運動をしたり、下剤などを服用し、無理に体外に出そうとするのです。

それが習慣化し、週に2回以上、3ヶ月以上持続していれば、過食症と診断されることが多いようです。

そのようなことになる原因としては、やせなければならないという自らに課すプレッシャーであったり、家庭内における精神的に影響を及ぼす問題、また、気持ちの落ち込みなどが作用して、発症に結びつくことがいわれています。

このような心の病である摂食障害になる人は、感受性がとても豊かな人であることが多いようです。もちろん、これは悪いことではありません。しかし、あまりに敏感であるために、周囲の評価を過度に気にしすぎたり、「自分はダメだ」と思ってしまったり、繊細で傷つきやすいのです。

他人の意見や目が非常に気になるので、自分の存在評価を、他人の評価に委ねてしまうことをしがちなのです。自分は自分だ、と自分で自分らしさを認めることが出来にくくなるのです。

このように、摂食障害になりやすい人は、自分らしさを見出せていなかったり、見失ってしまった人が多いようです。

心の病と言われるように、口や体に現れるその症状の元は、心にあります。心はすぐには変わりませんが、地道にじっくりと取り組んでいくことが大事ですね。

摂食障害という心の病 止まらない過食

「食べずにいられない」という症状となってあらわれ、後で嘔吐したり、下剤を飲んだりして代償行為をするのが過食症。
正確には、神経性大食症と言います。

単に「食べ過ぎてしまう」のではなくて、背景には、大きな心の病があります。
幼児期に、親からの過干渉があり、自分の気持ちを打ち明けられなかった経験を持つ人に、過食症の症状が現れていることがよくあります。

長い過去の蓄積によるものなので、その解決にも、一筋縄ではいかないものがあり、治療の困難さがあります。

過食症の人は、極度に不安に陥りやすい傾向があります。
太ることへの恐怖を口にする人は、それによって周囲から嫌われるのではないか、捨てられるのではないか、醜い自分になる恐れを語ります。
体重が少しでも上がっていると、それが怖いのです。

周囲がたとえ「気にしなくていいんだよ」「太っている人も好きなんだから」と言ったところで、本人は自分で自分が許せないので、実際のところは他人の評価は関係ないのです。

自分で生み出した影に、自分でおびえていることがわかります。「恐れ」と言っても、それは実際に自分を責める環境があるのではなく、環境に過敏に反応し、「ああではないか」「こう思われているのではないか」「このように思われていたらどうしよう」と自ら不安を増幅させ、過食せずにいられない心理状態へと追い込んでいくのです。

また、過食症の人は、自己評価が低いため、自分に自信がありません。しかし、プライドが高く、負けず嫌いな面もあり、大変にもろく傷つきやすい心理状態にあります。

過食は、心のバランスを保つために、本人には必要な行為なので、無理にやめさせることが改善につながるかは判断が難しいところです。肉体を痛めつける行為ですから、間違いなく体に悪いのですが、過食という行為が心の癒しである以上、心の修復を試みながら長い時間をかけて治療していく必要があるでしょう。

心の病は、何より目に見えないものですから、周囲の理解が得られず、それによってさらに本人が苦しむ結果になります。理解者が増えることも、心の病の治療に大切なことですから、決して本人の発言を否定しないことが望まれます。

心の病 食欲で思うこと

心の病について、続けて学んでいきましょう。

人間は欲望のかたまりです。
なければないで欲しい、あればあったでもっと欲しいと思います。
その欲には、キリがありません。
これで満足、ということがありません。

一口に欲と言っても、いろいろな欲があります。
代表的な5つの欲について、前回、お伝えしました。
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の5つです。

今回は、その中の食欲についてお話しましょう。

食欲は、これは皆さんもよくご存知と思います。
美味しいものが食べたい、飲みたい、という欲です。

お腹が空くと、「あ~、おなか減った。何か食べたいなぁ」と思うのは食欲によるものです。

「あ~、暑い。喉が渇いた。何か飲みたい」と思うのも、食欲です。

ところが、この食欲は、実におそろしいもので、とんでもないことを思って、自らを苦しませる結果になります。

かつてこんなことがありました。

学校から帰って、お腹が減った思いをそのまま母にぶつけます。

「ただいま!お母さん、おなか減った!何かない?」

すると母は、

「冷蔵庫に、肉まんが入っていたと思うから、レンジであたためて食べなさい」

「やった!」と思って、レンジであたためているところへ、弟が帰宅。

「ただいま!お母さん、おなか減った!何かない?」

やっぱり兄弟なのか、同じことを母に言います。
すると母は、

「今、お兄ちゃんが肉まんをあたためてるから、半分こして食べなさい」

と。

ここで私の心の食欲が動くわけです。

「クソ!何でこのタイミングに帰ってきやがるんだ。オレ一人で食べようと思ったのに。半分だなんて、そんなのありえない」

そこで私はあたためた肉まんを手に、

「じゃあ、半分やるから、ちょっと待ってろ」

と肉まんを半分にした。そして、いかにも弟に大きいほうを渡すように見せかけ、

「ほら、お兄ちゃんよりも大きいのをあげよう」

と弟に渡すのですが、実際は、自分のほうが大きいのです。

弟にも、母にも、「お兄ちゃんはえらい」と思われたい(これを名誉欲といいます)という思いと、「自分が大きいほうを食べたい」という食欲と、欲まみれの言動で、他人をだましています。

自分さえ良ければ他人はどうなってもいい、というこんな心で相手をふみつけているのですから、その報いは必ず自分に返ってきます。

欲の心の実態を、仏教は詳しく教えられていて、それを親鸞会の勉強会で学びました。

おそろしい心で、自らが苦しむ種を作っているのです。
すべての人がかかっている心の病と言えるでしょう。

心の病 うずまく欲望

欲について、親鸞会で学ぶ知人から教えてもらったことです。

欲は、なければないで欲しい、あればあったでもっと欲しいと思う心です。

いろいろな欲がありますが、代表的なものが五欲といわれる5つの欲です。

食欲(しょくよく)
財欲(ざいよく)
色欲(しきよく)
名誉欲(めいよよく)
睡眠欲(すいみんよく)

これを五欲といいます。

食欲は、おいしいものが食べたい、飲みたいという欲。

財欲は、お金が欲しい、物がほしい、という欲望。

色欲は、男女の欲。異性を求める欲望です。

名誉欲は、褒められたい、認められたい、という欲。

睡眠欲とは、眠たい、楽がしたい、という欲、と教えてもらいました。

もっと具体的にどんな欲なのか、改めて書きたいと思います。

心の病 欲について

「心の病」ひとくくりに「病」としていますが、

どこからが病なのかは、かなり微妙です。

なので、このサイトでは、広い範囲の心に関わる問題に
ついて書いていきたいと思います。

性格レベルでいいますと、「欲」という心が問題によく
なります。

今、親鸞聖人ブームですが、親鸞聖人の教えを学ぶ親鸞会という
集まりで勉強している友人から以下のような内容を教えてもらいました。

欲とは、なければないで欲しい

あればあったでもっと欲しいもっと欲しいときりもきわもないものです。

欲といってもいろいろで代表的なものでも5つあります。

食欲(しょくよく)
財欲(ざいよく)
色欲(しきよく)
名誉欲(めいよよく)
睡眠欲(すいみんよく)

これを五欲といいます。

最初の食欲は、食べたい飲みたいという欲です。

心の病 欲について

「心の病」ひとくくりに「病」としていますが、

どこからが病なのかは、かなり微妙です。

なので、このサイトでは、広い範囲の心に関わる問題に
ついて書いていきたいと思います。

性格レベルでいいますと、「欲」という心が問題によく
なります。

今、親鸞聖人ブームですが、親鸞聖人の教えを学ぶ親鸞会という
集まりで勉強している友人から以下のような内容を教えてもらいました。

欲といってもいろいろで代表的なものでも5つあります。

食欲(しょくよく)
財欲(ざいよく)
色欲(しきよく)
名誉欲(めいよよく)
睡眠欲(すいみんよく)

これを五欲といいます。

この欲によって引きづられ、ついつい悪いことを
してしまいます。
そして自己嫌悪の悪循環。

まずは、自分の心はどのようなものかを
知ることが大事と言われます。

自分にもある「欲」の心とは、どんな心か、
機会をみつけて書いていきたいと思います。

心の病の根底にあるもの

自殺者のおよそ8割は、少なくとも直前に、うつ病の状態に陥っていた、と多くの精神科医は指摘しています。

うつ病は、心の病とは言われていますが、本当は身体的な病気で、医学的にいえば、セロトニン、ノルアドレナリンなど脳内神経伝達物質の分泌のバランスが崩れた状態をいわれるそうです。

これは薬で元に戻すことができるので、自殺の危険が切迫している時は、物質的な治療法で、自殺の回避を行うといいます。

しかし問題は、なぜバランスが崩れたか、その要因を取り除かないと、また同じ危険を繰り返す点にあります。

うつ病は、長期間ストレスにさらされるとなりやすいといわれるのですが、ストレスの原因としては、仕事、家庭、人間関係など、複雑多岐です。

それらすべてを取り除けたとしても、再び似た状況が生まれないともかぎりません。

飽くまで対症療法で、根本的解決にはなっていないのです。

ところが、一度は自殺の危機にありながら、親鸞聖人のみ教えを知って、心の病を克服し、大きく立ち直った例があります。

大手企業の中間管理職をしていたT氏は、5年前、社運をかけたプロジェクトに参画し、仕事上の失敗、上司と部下との板挟みでうつ状態となり、自殺寸前まで追い詰められていました。

T氏は休養と薬で、3ヵ月後には職場復帰できるほど快復できたのですが、

「療養中、初めて自分の人生を見つめ直すことができた」

と、親鸞聖人の教えに触れ、人生が大転換したことを喜んでいます。

「今まで生きる目的を知らず、どうでもいいことに振り回されすぎたのです」

お釈迦さまは『大無量寿経』に、

「世人薄俗にして共に不急の事を諍う」

と教えられました。

財産、名誉、出世、家庭などを獲得することと、人生の目的は、全く別次元の問題であり、人生の目的こそが、最も大切な問題なのだ、とそこに気づくと、日々心を悩ます出来事も、人生の目的を果たすうえの試練、意味ある苦しみと受け止められます。

「自分の思いどおりにならない人や物を、いたずらに憎んだり敵視して、余計私は苦しんでいました。今も苦しみはありますが、人生の目的に向かっていける身の幸を喜んでいます」

T氏は新しい人生を踏み出し、たくましく生きています。

心の病に苦しむ人たちに、対症療法はもちろん必要な治療ですが、人生を根底から見つめて、親鸞聖人の教えを学び、生きる目的を知ることによる根本的な治療があることを知って、大変勉強になりました。

心の病と生きる意味

心の病に苦しむTさんが、その心の病が回復した経緯を話してくれました。

「みんなにでくの棒と呼ばれ
誉められもせず
苦にもされず
そういう者に私はなりたい」

宮沢賢治の詩(雨ニモマケズ)の一節です。

初めて読んだのは、小学5年生の時でした。
童話作家、詩人、農業指導者、そして仏法者としての賢治の生き方に引かれ、いつの間にか、「そういう者に私もなりたい」と思いました。

そこで、大学は農学部へ進み、農業教員となりました。

教員生活は順調でしたが、50歳前後から、寂しく不安な心にさいなまれるようになりました。
授業をしていても、

「生徒もきっと、つまらないんだろうな」

と自己嫌悪に陥り、新年度になると何とか回復するという状態を数年繰り返していました。

そんなある日、大学生の長男が、バイクの事故で意識不明になったのです。医師に、
「この一週間が山だ」
と言われ、妻は付きっきりで看病、私は仕事と家事と病院通いで、心身ともに疲れ果てました。

長男は幸いにも快復し、退院しましたが、ホッとした途端に、気力がすっかり抜けてしまい、何にもヤル気が起きず、体が動きません。
心はどんどん鬱になり、何をしていても真っ暗で苦しくて身の置きどころがない。
“絶対に自殺はしてはいけない”と思いながら、トイレで、
「ああ、死にたい」
とつぶやいていました。

医者に行くと、すぐ入院となったのです。

何度か入退院を繰り返したあと、ようやく動き回れるようになりました。
自宅療養の合間に“病の治療になれば”と百観音の巡礼をしていた時、新聞折込のチラシを見て、仏教講座に参加しました。
「目的地を知らない飛行機は、墜落あるのみです。人生には、生きている時に達成できる大目的があるのですよ。その目的をハッキリ教えられたのが親鸞聖人です」
という言葉に衝撃を受けました。

「なぜ生きるか」に、若い時から関心があった私は、続けて親鸞聖人の教えを学ぶようになりました。

ただ、宮沢賢治を人生の師としてきた私にとって、疑問が一つありました。彼は、浄土真宗の家に生まれ、父親が主催する法話に参詣していながら、なぜ『法華経』に帰依したのか、という疑問でした。
賢治の作品を改めて読んでみますと、『よだかの星』では、多くの虫の命を奪う罪深さを知らされたよだか(鳥)が、「どうか私をあなたのところへ連れてって下さい」と太陽や星にお願いするが、力及ばず死んでしまいます。
『銀河鉄道の夜』は、「ほんとうの幸福」が分からぬ迷いの旅が描かれています。

結局、賢治菩薩といわれたほどの彼も、仏教の教えがわからず、迷っていたのだとわかりました。
仏教を学び始めて一年、心の病は遠ざかっていきました。
私には、宮沢賢治も知りえなかった大目的が、親鸞聖人の教えによって分かったのです。

生きる目的のわからぬ苦しさがきっかけで、生きることにむなしさを感じ、心の病に苦しみました。
どうにもならない虚無感を、何とか別のものでごまかそうと必死でしたが、ごまかそう、という気力さえもなくなってきたときは、本当に危なかったと思います。

何のために生きるのかを知ることは、人生の根本だと思いました。
私の心の病と、その克服の経緯で、何かを感じ取っていただければ幸いです。